ゲームの歴史.4「1981年~ ファミコンからアタリショック事件~セガマーク3まで」

ゲームハードの歴史

前回

ゲームの歴史.3「1976年~ 初めての携帯用ゲーム機・ハードが徐々に普及するまで」
前回 コンピューターゲームの歴史 1976年  Mattel Auto Race Mattel Electronicsが発売した世界初の携帯型電子ゲーム機。 内容はLED画面を使用したレースゲーム。 ...

 

コンピューターゲームの歴史

1981年 カセットビジョン

エポック社 https://epoch.jp/

が1981年7月30日に発売したカセット式の家庭用ゲーム機。

(エポックといえばシルバニアファミリーで有名ですね)

 

日本ではファミコンが登場するまでの間最も売れた家庭用ゲームハード。

CPUは”ROMカセット”に内蔵するという今では奇妙な構成。

この仕様によって本体価格を安価にすることができた。

(今やったらソフトがめちゃくちゃ高くなりますね。)

性能は1977年に発売されたVCSよりも劣っていた。

カセットビジョンの周辺機器として銃型コントローラーも発売された。

1982~1983年 アタリショック

アタリVCSはパックマンやインベーダーの移植により

世界累計で1400万台を売り上げて、”一時代を気付いたハード””。

当時のゲーム機としては圧倒的な普及台数となった。

(日本ではそこまで流行らず…)

大成功ということで終わらないのが黎明期の産業で

成功の結果、

多数のサードパーティ(ゲームハードを作っているメーカー以外の会社)がVCSに参入することになります。

 

その結果、サードパーティによる品質の悪いソフトウェアが市場に溢れ返ってしまったのです。

(売り逃げありきのクソゲー、バグゲーが乱立)

 

クソゲーが溢れかえった要因は

アタリがサード制ソフトウェアの内容を把握していなかった為

 

また、当時はインターネットが普及しておらず、

ゲームソフトのレビューを行う雑誌などもなかった為、

ユーザーはゲームを買って遊んでみなくては

ゲーム良し悪しなど判断できないので購買意欲をどんどん削っていきました。

クソゲーを掴んでしまった後に、次にもう一本買う思考にはならないですもんね。

 

★アタリショックでもっとも有名なVCS版「E.T.TVCM

atari – e.t. video game (1982)

VCSで発売された伝説的クソゲー「E.T.」はATARI倒産の要因とも言われています。

映画との相乗効果で大ヒットを見込んでいたATARIはソフトを過剰に生産。

実際に大ヒットしたらしいのですが、

過剰に生産したせいで、物理的な在庫が数100万単位で売れ残ったようです。

(今はダウンロード版があったりしますが、パッケージは在庫リスクを抱えてしまうわけです。

 各社がダウンロード版を推している理由はこういった要因もあります。)

 

※噂ではそれらの売れ残りはニューメキシコの埋め立て地に廃棄処分されたとか。

 

1982年 ぴゅう太

トミー(現在のタカラトミー)が1982年8月20日に発売した。

16ビットPC玩具メーカーの販売網を活かし玩具売場で販売も行った…

59800円と高額なため、あまり普及はしなかった。(PS3の初期みたい…)

スプライト機能を備えていた事で、

当時の本格的なパソコンのBASIC言語では作りづらかった

アクションゲームを制作することができたことが特徴。

この頃からプログラミング専門雑誌が出始めた。

ゲーム機としては非常に使いにくい丸型のコントローラー。

 

1983年 アルカディア

日本で「バンダイ・アルカディア」として、

アメリカでは「Emerson Arcadia 2001」として発売された家庭用ゲーム機。

 

互換機が30種類以上存在するがライセンスの元締めが不明である。

その互換機の中で日本ではバンダイ・アルカディアが最も普及した。

ソフトは全51本。

その中にはバンダイの版権を活かし

開発された日本限定のキャラゲーが含まれる。

★当時の広告

定価19800円で販売されたが、数か月後にファミコンが登場し9800円まで値下げされた。

値下げを行ってもファミコンという圧倒的ハードの前では無駄だったようです。

 

1983年 ファミリーコンピュータ

誰もが知っている1983年7月15日に任天堂より発売され、一時代を築いた家庭用ゲーム機

カセットでソフトは提供され、様々なゲームを遊ぶことができる。

販売当初は売れなかったものの、

徐々に人気商品となり1年間でおよそ300万台を売り上げた。

 

ロンチソフトは『ポパイ』『ドンキーコング』『ドンキーコングJr.』の3本

 

1985年9月13日には『マリオブラザーズ』のキャラクターを使った
新作2Dアクションゲーム『スーパーマリオブラザーズ』を発売。681万本の大ヒットとなった。

 

当時の社長である山内氏の「少なくとも他社が 1 年は追随できない物を作れ」

という指示のもと開発され、ライバル機と比べ圧倒的性能を誇っていた。

(任天堂も性能を重視していた時期があったんですね。)

「ジッピーレース」を見るとファミコンの性能の高さがよくわかります。

 

ファミコン初期はバックアップメモリーによるセーブ機能が存在せず

前回のデータが必要なゲームはパスワードで対応していました。

 

「ふっかつのじゅもん」もこの仕様のせいなのです。

 

ファミリーコンピュータ2大RPG

ファミリーコンピュータは今も続く2大RPGが生まれたハードでもあります。

★ドラゴンクエストシリーズ

堀井雄二、鳥山明、すぎやまこういちの3大スタッフにより作品。

海外RPGの『ウルティマ』や『ウィザードリィ』を参考に

日本でもRPGの面白さを伝えるためにゲームデザインに変化を加えたらしいです。

★ファイナルファンタジーシリーズ

坂口博信によって生み出されたRPG。世界的な人気はドラクエを超える。

シリーズ全タイトルの世界累計出荷本数は1億本以上。

タイトルの由来はスクエア最後のソフトとして制作されたからと言われていたのですが、

最近のインタビューによるとそうではない模様。

おまけ

実は聖剣伝説はファミコン向けソフトだった。結局開発中止に。

予約していた人向けにお詫びのキャンペーンもやっていた。

 

1983年 SC-3000/SG-1000

ファミコンの発売日と同日である1983年7月15日にセガより発売。

SC-3000はゲームパソコンとして発売された。

SG-1000はSC-3000からキーボードを外すことで価格を抑えたゲーム専用機。

 

・SC-3000は専用モニタがなくてもテレビに接続しパソコンとして使用できる。

・SG-1000のSGは「Sega Game」の略である。

 

ファミリーコンピューターという大きなライバルがいながらも

セガの見込み以上の売り上げを記録し、セガ独自ハード路線を決定づけた。

ハンドルコントローラ、カセットレコーダープリンタなど多彩な周辺機器がある。

ファミコンタイプのコントローラーの操作性の良さに

気づき周辺機器としてジョイパッドを発売。

マイナーチェンジハードである「SG1000Ⅱ」では標準コントローラになっている。

1983年 光速船

1983年7月にバンダイから発売されたゲーム機。

1982年にアメリカのGCE社が「Vectrex」の輸入販売品。

 

「ベクタースキャン方式」の映像出力によりジャギが一切ない美麗な映像が体験できた。

(ふつうのゲームは画面に点(ピクセル)単位で絵を描いているので、

その点がすくなければカクカクな絵に見えるわけです。)

 

しかしベクタースキャンを採用した結果、専用ディスプレイを

本体に付属せざる負えなくなり定価54800円と高額になってしまった

当然のことながらまったく普及せず・・・。(高額ハードは売れないのですよ…)

ジャギーがない画面はキレイではあるが、所詮線のみで書かれたグラフィックで味気ない。

1984年 スーパーカセットビジョン

1984年7月17日に発売されたカセットビジョンの後継機である。

後継機ではあるが互換機能はない。

 

カセットビジョンは当時の日本の家庭用ゲーム機シェアの7割を獲得することができたが、

ファミリーコンピュータやSG-1000の登場により他社ハードとの差が大きく開いてしまった。

 

そこで巻き返しのためにNECと共同開発を行ったのがスーパーカセットビジョンとなります。

(NECはこの経験を活かし後に何かを作るわけですね)

スプライト数は128とファミコンを上回ってはいますが、

BG機能がなくBGを表示するためにスプライトを余分に使わざる負えなくなってしまうという、欠陥仕様。

結果ファミコンよりも劣るグラフィックに見えてしまったという。

スプライト?BG?となった方へ。
簡単に説明すると、スプライトはゲーム内で動かせるキャラクター達の絵を表示できる領域。
BGは背景の絵が表示できる領域です。

1984年 ファミリーベーシック

任天堂のファミリーコンピュータの周辺機器。

ファミコン本体に接続することにより、BASICの文法に基づいた

簡単な自作ゲームをプログラミングできるようになる。

ドット描画機能はないがスプライト描画が可能。

1984年 セガ・マークIII

1985年10月20日にセガが発売した家庭用ゲーム機。

価格は15000円。日本国外では「Sega Master System」の名称で販売。

 

前世代機との互換を維持し、性能を強化。ファミコンを上回る性能となった。

 

ファミリーコンピュータの爆発的な普及、

サードパーティー制導入の遅れによるソフトラインナップの偏りにより

劣勢の状況を覆すことはできなかったが、所謂セガマニア(信者)と呼ばれる熱狂的なファンを生み出した

テレビおえかきという奇妙な周辺機器も販売された。

タブレットの透明なプラスチック部分を専用のペンでなぞることにより、

テレビ画面に自由に絵を描くことができる。

セガの人気STGの続編「ファンタジーゾーン2」

マーク3用タイトルだったがファミコンにも移植されたが、マーク3の色数の多さがよくわかる。

 

セガ・マークIII ソフトウェア

マーク3は多くのアーケードゲームがスペック不足にも関わらず移植された。

 

アフターバーナー

疑似3Dで表現されたAC向けSTGゲーム。

拡大縮小でグラフィックを表現していたのがAC版だったが拡縮のない

マーク3ではスプライトを大きいものから小さいものに置き換えて再現していた。

処理能力が足りず、かなりガクガクの画面である

ストリートファイターIIダッシュ

どう見ても偽物にしか見えないが正規移植。

ブラジルでのみ販売された。キャラクターが8人に減っていたり、

ゲームバランスも大きく変わっていて流石に無理がある移植だった。

 

スペースハリアー

ソニックの中裕司さんが移植を担当した。

グラフィックの劣化はもちろんありながらもゲームとしてきちんと遊べるレベルの移植である。

ラスボスはマーク3オリジナル。キャラの周りの枠はスプライトではなくBGで描画しているかららしい。

 

続く・・・

ゲームの歴史.5「1984年~セガが任天堂よりもシェアを取るまで」
コンピューターゲームの歴史 前回 1984年 ゲームポケコン エポック社が1985年に発売した携帯型ゲーム機。定価12000円。 世界初のカセット交換式の携帯ゲーム機。 本体は非常に大...

 

タイトルとURLをコピーしました