コンピューターゲームの歴史
ゲーム会社で働くことを目指している人やゲームマニアに向けた記事です。
ゲーム会社で働く上でゲームという産業がどうやって成り立ったのか、
どんなハードがあったのか、流行のタイトルはなんだったのかなどなど知っておくとよいでしょう。
レトロゲームから最新ハードまで歴史を追っていきます。
1912年 世界初のコンピューターゲーム「El Ajedrecista」
人間相手にチェスをする機械。オートマタの一種。
アナログなゲームをコンピューターに操作させるという発想のゲームとなっています。
スクリーンに投影しているわけではないため、
所謂ビデオゲームではないですが一人遊びが可能な初のゲーム機と呼ばれています。
1920年代 エレメカ
電子制御による物理的なゲームのことを指します。
代表的なものは「Ray O’ Lite Rifle」など…
銃を模したコントローラーを使って目標を狙って遊ぶものがありました。
今でいうアーケードゲームの概念を生み出しました。
画面出力はなく、ランプが光ったりモーターによって模型が倒れこむなどアナログチックな表現になっています。
1940~50年 研究としてのゲーム
1946年にラルフ・H・ベア(ゲーム機:オデッセイの発明者 ※のちに登場)
がオシロスコープを使いピンポンゲームのようなものを遊んでいたと語っています。
1950年代にはマサチューセッツ工科大学で開発された「 Whirlwind (コンピューター)」
にて「バウンシング・ボール」というゲームが動いていたとされています。
コンピューター上でゲームが動いていたという最古の記録と言われています。

whirlwind
1950年にはen:Josef Katesが「en:Bertie the Brain」を
Canadian National Exhibitionという国立の展示会で披露しています。
コンピューターと三目並べを楽しめ、さらに難易度の調整機能があったようです。

Bertie the Brain

oxo
1952年にはケンブリッジ大学の学生だった「Sandy Douglas」
がコンピューターと人間との意思疎通の研究の一環として
EDSACというコンピューターにて動作する「OXO」 というプログラムを作成します。
35×16の画面にて3目並べを楽しめるゲームです。
なんとEDSACのエミュレータでも動作するため今でも遊ぶことが可能です。
1958年 Tennis for Two
テニスを横からみたような画面になっており
画面には地面とネットを表すラインが描かれており、ボールは放物線を描いて下に落ちていきます。
(PONGなど有名なタイトルは真上視点ですが、横からというのは珍しいですね)
プレイヤーはコントローラーのつまみを回すことでボールの放物線角度変更し、ボタンで撃ち返します。
特徴としてはoxoなどとは異なり「リアルタイム性」があるゲームである点でしょう。
1962年 Spacewar!
世界初のシューティングゲームでオリジナル版は対戦専用。
マサチューセッツ工科大学の学生だったスティーブ・ラッセルらが
PDP-1(Programmed Data Processor-1)にて開発しました。
パブリックドメインソフトウェアであったため独自の改造が広まり、多数の派生版が存在しています。
コントローラーである「コントロールボックス」はジョイスティックの祖先といえます。
ゲームの面白さが口コミで広まりプレイするために行列ができるといった現象も起きました。
1966~69年 ブラウンボックス
Ralph Henry Baerが制作した、テレビへ映像を出力可能な世界初のゲーム専用機。
ゲームの切り替えに使うスイッチついており、数種類のゲームが遊べた。
企業へ売り込んだが当時「Spacewar!」以外の不特定多数に遊ばれたゲームが
なかったため中々受け入れられなかったようです。
研究として始まったゲームが徐々に人を呼び込み、ゲーム専用の機械が登場するなど時代の移り変わりが感じられます。ビジネスとして成立する可能性を当時の方々も感じたのではないでしょうか。
★ゲームの歴史を学ぶ.2「ゲーム専用機の誕生」へ続く。
