コンピューターゲームの歴史
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1994年 セガサターン
1994年11月22日にセガが発売した家庭用ゲーム機。
名称は、セガの6番目の家庭用ゲーム機ということから太陽系第六惑星の土星から付けられました。
価格は44,800円。
セガは「発売から6ヶ月限定5000円引きで44,800円」のつもりでいたが、
値段を戻すことは[値上げ]と捉えられてしまうということで見送りました。
サターンはセガの豊富なソフト資産により
発売当初はPSとほぼ互角の売り上げを記録。
(ただし、FF7などの影響で大きく引き離されてしまいます・・・)
国内とは対照的に、
海外ではセガハードで最も売れないハードとなっています。
●海外でヒットしたメガドライブを32Xで延命したこと
●セガサターンにメガドライブ互換機能がないこと
●海外で大人気のソニックシリーズを、
なぜか海外サターンでは展開しない
など多々問題がありました。
海外では32Xの半年後にサターンが発売されたが当時の予定ソフトは40本以下。
さらに意味不明なことに、この後セガは32Xとメガドラの一体型Neptuneを
発売(結局中止に)する予定であった。何を考えていたのか誰にもわからない。
家庭用ハードなのにアダルトゲームが発売された
サターンは家庭用ゲーム機としては珍しくアダルトゲームも発売されました。
当時ポケモンショックでPTAがゲームに対し過剰反応していた為、
その対策としてアダルトゲーム販売はたったの一年半で終わることとなったのでした。
セガサターン 代表的ソフトウェア
バーチャファイター2
140万本を売り上げたサターンNO1ソフト。
無機質なポリゴンであった前作から
テクスチャマッピングを採用することで、よりキレイなグラフィックに。
サターンでの移植は難しいのではと言われていましたが、ほぼそん色ない移植となっています。
サクラ大戦
恋愛ゲームと戦略シミュレーションゲームを組み合わせ、
2では恋愛ゲームとしては異例の50万本を売り上げたゲーム。
田中公平が手掛けた主題歌がゲームファン以外にも有名である。
今もセガ看板のキャラとしてコラボゲームなどに登場している。
※最近では新・サクラ大戦としてリブートされています。
クロックワークナイト~ペパルーチョの大冒険~
おもちゃの世界を舞台にヒゲおやじの主人公がさらわれた姫を助け出すアクションゲーム(マリオ…)。
セガサターン初期のイメージキャラクターとしてCMでもプッシュされていました。
セガサターンになったことで3D空間の奥行を活かした仕掛けの数々を体験できる点が新しいです。
パンツァードラグーン
奥スクロールの3Dシューティングゲーム。
STGであるにも関わらず練りこまれた世界観。
ホーミングレーザーによる爽快感のある攻撃が魅力。
グラフィックレベルもサターンソフトの中でもかなり高い。
※最近ではスイッチでリメイク版が発売されました。

NiGHTS into Dreams…
ソニックチーム制作のサターン看板タイトル。
フィールドを飛びまわる爽快感と浮遊感はこのゲームならでは。
非常に高い技術で制作されておりPS2へ移植では、
PS2のメモリが足りず開発者は相当苦悩した模様。
参考:http://nights.sega.jp/nights1/ps2/image/memory/vol15/home.html
デイトナUSA
アーケードの人気レーシングゲームの移植。
フレームレートが20fpsになるなど劣化点はあるものの多数の追加要素が盛込まれた。
アメリカでは高い人気を誇る。AC版のプロデューサーは龍が如くの名越稔洋。
PS3/Xbox360でHD版が発売されています。
1994年 プレイステーション
ソニーコンピューターエンタテイメントより発売された家庭用ゲーム機。
発売日は1994年12月3日。
「123!123!」の掛け声のTVCMが印象的。
PSはソニーと任天堂による共同開発のCD-ROM装置、
開発コード「プレイステーション」が始まりである。
当時の雑誌記事から分かるように、PSはあまり期待されていなかった。
数ある家電メーカーが発売するゲーム機の一つ程度の扱いであったのである。
この世代NO1のハードとなるPSだがゲーム産業初参入の
ソニーがどのような販売戦略を行ったのか…。
自社ソフトのないソニーが行ったのはサードパーティの囲い込みである。
音楽CDの流通販売のノウハウを活かした流通改革、任天堂
に比べ非常に安いロイヤリティなどでサードからの支持を得たのです。
個人的に思うことだがライバルである任天堂そしてセガの
次世代機に互換機能がなかったこともゲーム資産のないソニー
にとって大きなチャンスとなったのではないだろうか。
プレイステーション×ファイナルファンタジー7
セガサターン優勢の市場を一気に覆した伝説のTVCM。
一説ではFF7が正式発表される前にスクエアが他のゲーム会社にPSで開発することを内密に伝えて
他ソフトメーカーがPSで開発するように誘導したとか…。
プレイステーション 代表的ソフトウェア
みんなのGOLF
誰もが遊べるファミリー向けソフトとして
開発されたゴルフゲーム。当初SCEは否定的だったが170万本を超えるセールスを生み出す。
バイオハザード
ホラーゲームの代表格。映画化もされるなど国内外で大ヒットした。
国内では初動14万本程度だったが口コミで120万本まで売上げを伸ばした。
グランツーリスモ
これまでにないリアルな挙動のレースゲームとして制作された。
環境マッピングをいち早く
取り入れた光沢感のあるグラフィックも魅力。
リッジレーサー
ACゲームとして展開されたがPSロンチタイトルとしても発売された。あえてリアルではない挙動に
することで爽快感のあるドリフトが楽しめる。
鉄拳
プレイステーション互換基盤で作成された3D
格闘ゲーム。バーチャが流行っていた為注目度は低かったもののPSで発売された2でヒットした。
電車でGO!
AC版ではゲームとは縁遠かった鉄道ファンを取り込んだ。
PS版では一般層を取り込み、102万本の大ヒットとなる。
1994年 PC-FX
NECが発売したPCエンジンの後継機となる家庭用ゲーム機。
PC-FX最大の売りはアニメーション再生機能だったが、
プレイステーション、セガサターンと同時期に発売されたが
当時この2機種にとって最大の売りであった
3Dポリゴンの表示機能を一切備えていなかったのです。
(それは売れない…)
そのため市場の流行りに乗ることができずにPCエンジンの市場すら維持できないまま、
40万台(ファミ通調べ)を販売しただけで市場から消えていきました。
3Dポリゴンが表示できない以外にも欠点があり、
大きな問題と言えるのはキラータイトル不足である。
PCエンジンと同じく今回もハドソンと組んでいたわけだが、
保険としてセガサターンにもソフトを出すなど既に逃げ出す寸前であり、
この時点で何かを感じていたのでしょう。
結局キラーソフトがないままの状態で焦ってNECがプッシュし始めたのがアニメ、ギャルゲー。
結果としてさらに一般家庭から避けられる状態となり、よりマニア向けハードとなってしまった。
この失敗から最終的にNECはゲーム事業から撤退したのです。
1994年 プレイディア
1994年9月23日にバンダイより発売された「CD-ROMプレイヤー」
ゲームも楽しめるのが売りの8bit機。価格は24800円。
子役時代の安達祐実がCMキャラクターとして
起用されたようにターゲット層は小学生であり
発売されたゲームもキャラクターゲームが多い。
プレイディアもセガサターンやプレイステーションと同時期に発売された
ゲーム機であるが、低価格路線かつメインターゲットは子供ということでニッチ層を狙い展開した。
しかしニッチを狙いすぎた結果テレビゲーム販売店
に置いてもらえず、成功とは言い難い結果になってしまった。
コントローラは赤外線によるワイヤレス方式で次世代っぽいが、
レスポンスが悪いためアクションゲームが不得意なハードとなってしまった。
そのため発売されたゲームの大半はいわゆるLDゲームである。
1995年 バーチャルボーイ
任天堂が発売した3D立体視対応のゲーム機。
よく任天堂の黒歴史として語られる。
海外では携帯ゲーム機として売られていた。
横井軍平が最後に任天堂で開発したハード。
バーチャルボーイ発売の前年プレイステーションやセガサターンが発売され
世の中の注目はポリゴンを使用したゲームでした。
そんな時代の中で赤黒のみで表現されたゲーム画面では興味を持つユーザーは少なかったのです。
他にもすでにニンテンドー64の開発が発表されていたこと、
プレイスタイルがプレイしていない人から見れば怪しいなど多々問題点があったといえる。
国内での最終的な出荷台数は63万台と任天堂ハードでも最低だった。
3D立体視を最大の売りとしたバーチャルボーイだが、
この立体視がTVCMや雑誌紙面広告では伝えられないものであった。
宣伝方法の難しさも販売台数が伸びなかった要因と言える。
後に発売されたニンテンドー3DSも同じ状態と
なり発売当初の売上は振るいませんでした。
(ただし豊富なソフトラインナップと初期の値下げのおかげで普及しました。)
★次回
ニンテンドー64~~~